今日は思いっきり長文です

先日仕事の同僚と話していると
『この前、新潟に行って来たんだけど昔に比べて旅情が無いんだよね』というハナシをしていました。
彼は生まれも育ちも関東なので一度実家(神奈川県)立ち寄って鉄路で新潟を目指したとの事。
その時『昔、新潟行の夜行列車に新宿から乗った』というハナシになり、急に昔の事をアレコレ思い出したので、今回はそんな昔話にお付き合いください。

夜行列車と聞くと皆さんはどんな列車を思い浮かべるだろうか?

そろそろ半世紀の齢がチラチラ見えてきた来たキロハユニは夜行=鈍行という妄想をしてしまいます。
世代的にはガキんちょの頃ブルトレブームだったので夜行=EF65P+20系でもオカシクナイんですけど、生憎と花形特急に縁の無い幼少期~青年期(いや今でも縁が無いっす)を過ごしており夜行といえば“鈍行”となってしまいます。
とはいえ、ちょうど国鉄分割民営化の頃に一番多く夜行列車を利用しているので正確には“鈍行”ではなく“快速”だったんですケドね(笑)
当時の移動手段は“鉄道”となり使用する乗車券は“青春18きっぷ”がド定番でした。
そんな訳だから“夜行=鈍行(快速)”となるのは当たり前と言えば当たり前の図式となるわけです。

記憶の限りで走っていたのは
①大垣夜行(東京⇔大垣:165系)
②新宮夜行(天王寺→新宮:165系)
③甲府夜行(新宿→上諏訪:115系)
④高知夜行(高松→高知:50系)
⑤ムーンライト(新宿⇔村上:165系)

その他シーズン列車を含めると快速ミッドナイトなんかも含まれるのかな?
上に挙げた列車には一通り乗ってるので当時を思い出しながら書いてみようと思います。

①大垣夜行(東京⇔大垣:165系)
コレを知らない鉄道マニアはもぐりです?と思う位の列車だと思いますがいかがでしょう?
ワタシ自身も何度もお世話になった列車です。大垣から乗車する事もありましたが、途中駅から乗車したこともあります。上りに関しては不思議と座れるもんで座席争奪戦を体験した記憶はないんですよね。
途中で駅そばがあったような・・・記憶もありますが間違ってたらゴメンナサイ。駅前にコンビニなんてハイソなもんが無かった時代でしたから豊橋や静岡でお弁当売ってたような記憶もあるのですが定かではアリマセン。
夜行列車の乗車目的は“寝る”だけで雰囲気を楽しむ代物ではなかったというのが当時の印象。
座れることは座れるんですが、夜行独特の熱気がムンムン漂う空気感に堪えられなくて、熱海あたりで下車して続行の113系東京行に乗り換えて途中下車して朝方のブルトレ撮影を根府川で楽しんだりしていました。
ただし、下り乗車となると若干の座席争奪戦があったので東京駅には割と早目に並んだ記憶があります。
不思議な事に下り列車座席争奪戦に負けた戦士達が通路に溢れる惨劇に出くわしたことが無いのですが…帰りの列車という事もあり横浜到着までには夢の中で目が覚めるのは決まって名古屋を出た辺りというお気楽さも手伝っていたので本当のトコはどうだったんでしょうかね?
なにより18きっぷ3枚使えば関西⇔東京の0泊3日の弾丸鉄道旅が味わえるので今では信じられないような旅行プランを立てられる“魔法のじゅうたん”のような列車でした。

②新宮夜行(天王寺→新宮:165系)
別名“太公望列車”と呼ばれたくらい、乗客の大半が釣り客という列車でした。
太公望の装備といえばクーラーボックスが武器のようなモノなのでこちらの座席争奪戦はホームの乗車口に見事に並んだクーラーボックス達が指定券替わりという記憶があります。
指定券の持ち主、まぁ…その何と言いますかホボ博打打ちの様な強面オジサマばかりで出発前から車内は居酒屋状態(^^;)あちらこちらで釣り談義と鉄道マニアには肩身が狭い列車でした。
この列車に中学生風情が紛れるわけですから、太公望達の酒の肴になるのは見え見えで座席争奪戦に負けても『ココ座り』と譲って頂いたり『コレ食うか?』とスルメを頂いたり『ジュース買うてきたから飲み』と奢ってもらったり、とにかく寝れない夜行列車だったのを覚えています。
ただし、大垣夜行と違って殺伐としてないので居心地は悪くなくオジサマ達も和歌山を過ぎる頃には体力温存の為に仮眠をとるので会話は自然と小声になります。いや、小声というよりホボ無言で真っ暗な車窓を見つめながらカップ酒をすすり飲む。隣人と目が合うと無言で肴を差し出す映画の様な世界がソコにあったのを覚えています。
最後に乗ったのは高校生の頃でしたが、待遇は相変わらずで演歌の世界が具現化した夜行列車として印象深いモノがあります。
そんな新宮夜行は、御坊を過ぎると太公望たちは釣り場という名の戦場を目指して降車していきます。
周参見を過ぎる辺りで車内はガラガラとなり新宮まで乗るのはワタシを含めて数える程(^^;)
当時はキハ82の南紀を狙いに行くという目的があったので何度か利用しましたが、恐らく撮り鉄目的が無い限り利用する事は無かったと思う列車でした。

③甲府夜行(東京→上諏訪:115系)
不夜城新宿(例えが昭和♪)を出て南アルプスを目指す別名“山列車”と聞いていたのに現実は違ってました。
ワタシが名付けたのは“GERO列車”です。初めて乗った時に『二度と乗るものか!』と思いつつ二度乗った記憶があります。
何故GERO列車なのか?と申しますと、この列車は中央線の最終も兼ねているので(夜行列車ってそんなもん?)とにかく車内は酔虎だらけなんです。老いも若きも男も女もトラなんです。新宮夜行の紳士的な酔虎と違ってコンクリートジャングルを戦い抜いて酒場という名の慰安所から自宅という基地に帰る兵士なのでタチが悪い。
戦士たちは気分が悪くなって途中下車しようもんなら基地(自宅)には帰れない。皆一様にして115系の揺れの洗礼を受ける。5~10分位なら彼等も勝ち戦で帰投できるのだろうが絶妙な揺れが国分寺辺りを過ぎる頃には最終防衛ラインを軽く飛び越してリバース祭りが催される。悲鳴にも似た声が聞こえる度に車内にイヤ~な臭いが立ち込め、同時に換気とばかりに窓を開けるもんだから寒くて仕方がない。
初めて乗ったのが年の瀬の飲み会シーズンだった事もあり、とにかく車内は阿鼻叫喚の一言でアチラコチラからカキが腐ったような臭いが立ち込める悲惨な夜行列車でした。
二度目に乗ったのは春の時期でしたが、大月辺りで気分が悪くなって甲府でギブアップした記憶があります。
『こんな列車で爽やかな高原を目指す気にはなれない』そう思わせるには十分すぎるんです。
ワタシが利用した頃は爽やかな高原を目指す移動手段は自家用車に推移している時代だったので、かつての山列車は酔虎運搬列車に変わり果ててしまったんでしょうけど…
唯一の救いは停車時間が長い事。停車駅ごとに爽やかな(笑)外気で深呼吸して発車ギリギリに車内に乗り込む(当然GERO地帯を避けて)これを甲府まで繰り返して耐える!甲府で長時間停車するので車内清掃を期待して上諏訪まで耐える!
夜行列車とは忍耐力を育むものだと勉強になった列車でもあります。
まったく夜行列車というモノは色々な事を教えてくれるもんである。

④高知夜行(高松→高知:50系)
ワタシの中で一番思い出深い夜行列車です。
宇高連絡船の最終便を待って高知まで行く客車列車でした。
この列車、早々と高松駅で機関車も繋げずにホームに入線しています。記憶の範囲で書きますので間違っている事もあるかと思いますが、機関車が付けられるのは発車30分前位でそれまでは車内の電気は点いてないんです。
確か23時位になってドア扱いがあったのでそれから車内の1BOXを陣取り移動に備えたのですが、やっぱり車内は真っ暗の状態。窓から差し込むホームの明かりが無ければどうなっていたんだろうと思う。
連絡船の最終便が付く頃には車内も賑やかになり、気が付くと座席に溢れた人達が通路に新聞紙を広げて簡易御座敷列車となります。ここでようやく車内の電気が付くかと思えばイキナリの減灯での照明で薄暗いまま高松を出発します。
客車列車独特の軽い走行音が心地良いのでスグに眠たくなるんですが、こまめに停車するので駅に着く度に客車列車独特の揺れが襲ってくるので眠れません。
この列車も前出の甲府夜行と同じで最終を兼ねている列車ではありますが、車内の空気はいたって快適♪酔虎率は皆無に等しかったと思います。多度津辺りまでは降車する人が結構いた印象があるので、新宮夜行のような会話こそないもののちょっとした通勤列車のようでした。
そうこうしているうちに列車が土讃線の急峻な地形に入ると先頭の機関車から心地良い短笛が聞こえてきます。この頃には車内は静かなモンで聞こえてくるのは一定リズムで刻むゴトゴトというジョイント音だけです。
旧型客車と違い、50系は静かなのでいつの間にか寝てしまい、気が付けば高知が目の前です。
2時間位しか眠れななかった割には目覚めは爽快でいつの間にか床一面の新聞紙は綺麗に片付けられています。
一度だけボックスシートではなくロングシートでゴロンと横なった事があります。これが意外と寝心地が良くて(笑)思わず靴を脱いでしまいました。
こちらの列車も数回お世話になりましたが、短い乗車時間の割には熟睡できる印象があり、甲府夜行とは雲泥の差でした。
『もう一度乗りたい』と思う夜行列車です。(でも簡易御座敷はイヤです)

⑤ムーンライト(新宿⇔村上:165系)
既出の夜行列車は“基本自由席”ですが、こちらは全席指定席でリクライニングシート装備の豪華列車です。
利用時の主目的は“客車列車の撮り鉄”だったので、目指すは磐越西線や笹川流れの景勝地でした。非電化区間はDD51で電化区間は磐梯山を望みながらのED77。関西だと赤い機関車(交流機)は見る事が出来ないのでそれだけ魅力があったんでしょう。少し足を延ばして板谷峠に行ってみたり只見線に浮気してみたりとしょっちゅう利用していた記憶があります。
全席指定という事で座席争奪戦が無いのをいい事に発車時刻ギリギリまで行動可能で一番重宝しました。
後に続く“ムーンライト○○”シリーズの元祖ともいえる存在だったので人気列車でもありましたが指定券争奪戦の類いは無く、直前でも空席があったのを覚えています。
初めて利用した時は、慣れないリクライニングシートだったので興奮して眠れなかったんですが、2回目以降はスグに熟睡して気が付いたら村上だった事が1度だけあります。逆区間では新宿に着いても寝てたので車掌さん?に起こされた事もあります。
それだけ車内が静かだった(という事にしておいて下さい)んですかね?
今風に例えるならネカフェみたいな立ち位置になるんですかね?

番外:ミッドナイト(函館⇔札幌)
1度だけ利用(乗車は3回)したことが有ります。当時C62ニセコが走り出した頃でどうしても撮りたくて渡道しました。
なんかスゴイ行程で青森まで辿り着き青函トンネルを抜けて函館に辿り着いたのを覚えています。
ミッドナイトは夏休みシーズンに自由席(キハ56だったかな?)が併結されるのでコイツを枕代わりに利用しました。
渡道中に上り下りで利用しましたが、いずれも満席状態(^^;)しかも北海道車にありがちな高密閉車内空間で息苦しかった記憶しかありません。
目的がC62撮影なんで函館→長万部/札幌→長万部と途中下車になるので長万部駅で人混みを掻き分けて下車する感じでした。
渡道最終日に札幌→大沼まで乗った時も下車時に人混みを掻き分けて降りたので、皆考える事は同じで枕代わり列車だったんですネ。



あれから30年近く時が流れ、今では夜行列車と呼べる列車を利用したくてもサンライズ位なもんで…関西からだと利用するにも中途半端だし(^^;)用事ないし…
かなり前のハナシになりますが、秋田に所用で出掛ける際に“あけぼの”を利用したことが有ります。
この時はまだ廃止の噂も無かった頃でしたが車内が減灯にも拘らずいつまでも盛り上がっている鉄道マニアが煩くてデッキに放り出した事が有ります。
関東在住時に銀河で帰省した時も同じ様な経験が何度かあります。(東海道筋のブルトレが富士・はやぶさのみになった頃です)
一度ホントに怒っちゃって(^^;)横浜から乗車した時に下段が取れ(ラッキーです)仕事を終えてそのまま乗車したら上段のマニアさんがワタシの下段でお菓子広げててシーツはクチャクチャ+食べカスだらけ。注意したら『でしたら上段と変わりましょう』と悪びれた様子もない発言。頭に来たのでデッキに引っ張り出そうとしたところで車掌さん登場。事情を説明して別の寝台に振り替えて頂いた事が有ります。
あまりの惨劇だったので件のマニアさんは車掌さんから随分お説教を食らってたみたいですが…(朝謝りに来ました)鉄道マニアなら夜行列車の過ごし方くらい、わかっててもよさそうなのに(シーツがセットされた寝台では上段の客は下段に座らないのはエチケットです)ねぇ。まぁ彼等は勉強になったから良しとしましょう。
鉄道ブームが過熱する前は銀河なんて横浜過ぎれば寝息しか聞こえない静かな列車だった印象がありますが時代は変わっていくもんだなぁと初めて自分がオサーン化している事に気が付きました。
銀河廃止後、どうしても帰阪しないとイケナイ時にムーンライトながらを使った事が有ります。自費での帰省に出来るだけ節約したくても夜行バスは満席。翌朝の新幹線も考えましたが“大垣夜行”の感覚で“ながら”を選択。指定席は売切れだったので先行する列車で小田原まで行き、自由席に乗った時にマニアらしき集団が騒いでました。大宴会という訳ではないのですが、深夜帯の会話はヒソヒソ声で行う意識は彼等にはないのかもしれませんね。
夜行バスならこんな事は無いのに夜行列車になった途端なんでこうなっちゃうかなぁ?客層の問題??ではないと思うんだけど考えてもワカリマセン。
ただ、その時心から思いました『あぁ~夜行列車ってもう時代にはそぐわないのかも?』って。

あの頃の夜行列車を味わいたいのならクルーズトレインとなるのかもしれませんが、ワタシの場合同じ金額を払って夜汽車に揺られるより、温泉に浸かって畳のある旅館でカジカの声でも聞きながら静かに寝る方がリッチな気分になれます。
そもそも移動手段の提供と贅沢な空間の提供では比較のしようがありませんから比べること自体がナンセンスなんですけどね。

最後は愚痴になってしまいましたが、青春時代に乗った夜行列車は今となっては貴重な思い出です。
鉄道マニア的にはもう一度あの頃に乗った高揚感をと願ったりもしますが、現代には現代の良さが沢山あります。
クルーズトレインを若干disりましたが、短距離タイプ(伊予灘ものがたりとかべるもんたの様なお食事出来る列車)は乗ってみたいし、現地までの移動手段は自家用車なら寄り道し放題です。
鉄道利用とした場合『ロングシートは旅情が無い』と言う方もいらっしゃいますが、ロングシートでしか味わえない発見もあるのでワタシはあまり気にしません。
目的地まで鈍行利用でも乗り換え時間が5分以内とか便利になりすぎているので、わざわざ1本ずらしたりして暇を持て余す位の余裕を楽しむ事も可能になりました。
無くなったモノと引き換えに得たモノを如何にして楽しむか?が旅情だと思います。

話を最初に戻しますが、同僚の彼が言う旅情というものが“時間を掛けて少しずつ目的地に近づく楽しみ”として解釈すると妙に納得が出来ました。
欲しい情報がスグに手に入る便利さが現代の良い所ではありますが、便利すぎると怠けてしまいそうで“ある程度知らない”方が物事って面白いと彼は言います(^^;)
交通手段に関しても同じで“ある程度の速達性”があれば過程も楽しむ事が出来ると思うんですよ。というのが彼の意見でした。
ナルホドワタシも同じかもしれないです(^^;)
皆さんはいかがでしょうか?

なぁんてハナシをしていたキロハユニでした。









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